細胞街へようこそ

身体の中の細胞さん達が日々生活を送っている街を仮に細胞街と呼ぼう。

細胞街には数多くの工房があり、そこでは更に数多くの職人が日々黙々と仕事に取り組んでいる。

髪の毛を伸ばすための工房もあれば、転んで傷付いた部分を修復する工房もある。

せっせと汗を作り出す工房もあるだろうし、街中ですれ違った綺麗な女性を鮮明な画像として記録する工房もあるだろう。
もっとも、この工房に関してだけ言えば、僕は綺麗な女性をほぼ忘れてしまうから、確実に怠慢であるとしか言いようが無い。
もっと精進してくれ給え。

まあ、そんな小言はさておき。

もしも僕が今、現在、now、細胞街に行ったとしたら神の如き扱いを受け、食べきれない程の料理と、これまた食べきれない程の美女達にもてなされ、バルコニーから姿を現せば細胞街最大の広場を埋め尽くす民衆達の大喝采を全身に浴びるだろうか。

ひとたび僕が「あ。あ。あ。あれ?もうマイク入ってる?」なんて言うだけで広場は揺れる程ざわめき、「えー、本日はお日柄も良く、空は私達の邂逅を祝福せんと蒼く、ひたすら蒼く澄み渡っておりますが…」なんて紋切り型の挨拶をするだけでも
「ひゅー!最高だよあんたは!」とか「YOUはわたしたちの生きる希望よ!」なんて言葉が街全体をビリビリと震わせるかもしれない。

そして、僕が階下に降り立ち民衆の方へ歩みを進めれば自然と道は開け、握手を求められ、サインをねだられ、勝手に写真を撮られ、Instagramに「#最高の一日 #感動 #一生忘れない」なんてタグ付けで投稿されるだろうか。(その投稿に対して1億以上のいいね!が付けられるのは言うまでも無い。)

はたまた飛行機が細胞街に降り立った瞬間、街は怒号に包まれ、老人、大人、子供、果ては赤ん坊でさえ鬼のような形相で僕に批難の声を浴びせかけてくるかもしれない。

「てめえ!普段質素な食生活心掛けてるくせに突然夜中の3時頃に寿司、鰻重、牛丼、カレーライスとかかっ込んでんじゃねえよ!スカポンタン!」とか「ビーチで視線を集めるようなかっこいい身体になりてえー、とか言ってるなら早く運動しろ!ウスノロバカ!」とか。
それはそれは聞くに堪えない罵詈雑言の嵐。

いつしか側にいたSPは消え、無防備となった僕を無数の民衆が取り囲んで一斉に石を投げつけ始めるのだ。

僕は痛みから逃れるため、ただただ身体を小さく縮こまらせながら「だって上司が食えって言うんだもーん!えーん!」なんて泣き言を言うしか無いのだろうか。

分からない。
分からないけど、一度で良いから細胞街に行ってみたい。
なぜ、ってそれは感謝を伝えたいから。

こんな不規則な生活をしていても、賃金なんて一切与えずとも、細胞街の職人達は文句一つ言わずに真っ直ぐ歩かせてくれるし、相手の言葉を理解させてくれる。
明順応、暗順応も卒無くこなしてくれるし、走ろうと思えば全速力で走らせてくれる。
好きな人の前ではドキドキさせてくれるし、ちょっとばかりの性欲も引き起こしてくれる。

そんな大変な仕事を何の指示も出さずとも完璧にこなしてくれる細胞街の住民達に、僕は感謝の意を表明しに行きたいのだ。

石を投げつけられたって構わない。
倒され足蹴にされ唾を吐きかけられたって構わない。
「あいつがクソ以下だと思う細胞はお気に入り。虫ケラ同然だと思う細胞はRT」なんてツイートが流れたって構わない。

こんな平凡な僕を20年以上も動かしてくれてありがとう、とだけ伝えられれば。




でも待てよ、と僕は一瞬我に帰る。

感謝を伝えるのはむしろ細胞街の方ではないか?

なんて言ったってこの僕だぞ。
僕の身体を動かすために働けるだけで幸せだと言うべきだろう。

そうだ。絶対にそうだ。
僕は間違っていない。
なんで途中まで感謝を伝えに行く流れになってたんだよ。

おい、聞こえるか。細胞街の住民達よ。
お前達は僕の、俺の、俺様の身体を動かすためだけに働いていれば良いんだ。バーカ。
誰だ、さっきウスノロバカだと言った細胞は?出てこい。出てこーい!

と内側に向かって叫んだ瞬間、僕の思考、感覚、その他もろもろはプツっと切れた。

どうやら細胞街の職人達が僕の言葉を聞いて一斉に仕事を放棄したらしい。

なんてこった。
途中までは良かったのにな。
でも僕が死んだら彼らの仕事も無くなる訳だから、これからどうやって生きて行くんだろう。
ははは。死ぬ間際の人間が他人、否、他細胞、否、自細胞の心配をするなんて。
傑作傑作…


そうして、僕の身体はとろりとろりと静かに、だけど確実に消えていった。